べるくんの「映画 五等分の花嫁」備忘録

 ネタバレには一切配慮いたしません。

2022年5月28日

 僕は今映画館の駐車場にいます。これから車で1時間かけて実家に帰らないといけませんが、このようなぐちゃぐちゃな気持ちではきっと無事に辿り着けないと思い、すぐさま筆をとった次第であります。
 僕はあまり漫画を読まないので、作品を完結まで追ったことが少ない。それこそ3作くらいしかない。もちろん五等分の花嫁の原作も読んでいないため、このような多重ヒロイン作品がどのような終わりを迎えるのか全く未知の領域であった。結果感情はぐちゃぐちゃになった。表現としてはぐちゃぐちゃが一番正しいと思うのだが、決してモヤモヤとかそういうマイナスの意味で使っているのではない。誰か1人が選ばれるという結末において、本作は最高レベルに素晴らしい終わり方をしたと思う。僕は三玖が好きだったので三玖に結ばれてほしいと思っていたけど、仮に三玖が選ばれていたとしてもこのぐちゃぐちゃな気持ちはあったと思う。むしろぐちゃぐちゃにならない方が間違ってるとさえ思っている。この気持ちを上手く表現できないのが非常にもどかしい。
 よく「好きな作品を終わらせたくないから最終回だけ見てない」と言う人がいる。僕は今までそれをあまり理解できなかったが、この映画の最中に初めて同様の気持ちを感じた。あれは全員の「最後の祭り」が終わり風太郎が答えを出そうとする直前、僕は「今すぐここから立ち去って見るのを辞めたい」と確かに思った。理由としては2つあって、1つはこの五等分の花嫁という素晴らしい作品がもうすぐ終わってしまうんだと自覚したから。もう1つは登場キャラに対して、学園祭初日に風太郎が言ったように、この6人でずっとこのままの関係でいればいいじゃんと心から思ったからだ。誰か1人に決めることがそれほど重要だろうか、この関係がなくなるくらいなら答えなんて出さなくて良いじゃないかと。作品の読み手としては絶対に間違っていることを、僕は本気で望んでしまったのである。だが彼らは答えを出すことを望んだ。そんな彼らの覚悟を、僕なんかが止められるわけないじゃないか……(そもそも止められない)。
 実を言うと、僕は最後に誰が選ばれるのかだけは人生のバグで知っていた。現代のネットの海を泳いでいる以上それは避け得なかったことだと思っている。というかそれが判明して話題になった時にそもそも僕はそんなに興味がなくて、「あーそうなんだ」くらいにしか感じなかった気がする。今となっては恥ずかしいことだが、アニメ1期時点では五等分の花嫁という作品を「ちょっと設定が面白いラブコメ」程度にしか思っていなかったからだ。アニメ2期放送後にようやくこの作品の素晴らしさに気付き、放送クールの2021冬の名立たる強豪アニメを差し置いて覇権アニメに認定した過去はある。
 結末について、もちろん何も知らずに見たかったというのも嘘ではないが、そこを知っていたことである程度心にゆとりを持てていたのは間違いないので、逆に良かったのかもしれない。きっと何も知らない状態で1人が選ばれる(つまり他の4人が選ばれない)のを見たらその場で映画館を破壊してしまっていたかもしれない。これは僕の望んだ相手がどうのという話じゃなくて、上述のぐちゃぐちゃがきっと数倍にも跳ね上がっていたと思われるからだ。
 別に伏せるつもりはないから言うが、風太郎は四葉を選んだ。作中で風太郎がずっと探していた写真の女の子が花嫁になるという、風太郎の一貫性から見ても良い選択だったと思う。しかし、もちろん写真の子であったからだけで選ばれたわけではない。語られた風太郎の気持ち、四葉の過去、どれをとっても納得しかなかった。というか仮に納得がいってなかったとしても、失恋して一番つらいはずの姉妹たちの祝福を見ていたらそんな気も失せるというものだ。まあそんな気は1ミリもないんですけどね。
 四葉が選ばれた直後には、四葉の人格形成に大きくかかわったであろう過去編が描かれた。それが想像の遥か上を行くぐらい重い過去で、終始手で口を覆ってしまうくらいにはかなり心にきた。その過去もあって風太郎の気持ちを一度は断ろうとした四葉だったが、風太郎に嘘はつけないと自分の気持ちも打ち明け、2人は結ばれることとなった。特筆すべきはその後の事後処理で、認められない二乃や乗り越えようと頑張る三玖の姿にまた涙した。あと一花が風太郎の背中を押したシーンも感情が溢れそうになった。今までずるいこともたくさんしてきた一花だったけど、あそこで風太郎に手を出そうとしなかっただけでもう全てが洗い流された気がする。そして最後の風太郎の告白もといプロポーズですよ。最後まで風太郎はかっこつけられなかったけど、それがまた彼らしいというか、四葉とお互い支え合って生きていくんだなと感じた。
 そして最後の最後に、ずっと引っ張ってきた結婚式当日の様子が描かれた。まず中野父がめちゃくちゃかっこよかった。俺も酒は祝い事にしか飲まないようにしようと思った。で五つ子ゲームファイナル、二乃も言っていたように四葉だけ当てれば良いものを風太郎が全員1人ずつ当てながら今までの想いを伝えていった。「愛があれば見分けられる」と物語中でも再三言われていたが、風太郎が四葉以外の4人のことも特別な存在として認識していることが窺えてとても良かった。五月とは相変わらず言い合いになっちゃうところとかもね、良かったですね。そういえばこの作品はキスシーンを意図的なまでに映してなかった気がするから最後に誓いのキスとかで締めるんかなとも思ってたけど結局それも映りませんでしたね。何か作者の想いとかあるのでしょうか。
 「最後の祭り」はなんていうか作品としてめちゃくちゃ見応えがあった。まず文化祭のダイジェストを映すことであっという間の3日間だったことを表現し、その後に五つ子がそれぞれ風太郎と過ごした舞台裏を明かすことで肉付けされていった。「〇〇の場合」という表現からしてifルートをやるのかとも思ったがそうではなく、それぞれが風太郎とかかわる時間を切り取ることで個別エピソードとしていたのがすごかった。しかもそれだけでは飽き足らず、文化祭中に倒れた姉妹や屋台の火事の原因など、この3日間だけで張られては回収されていく伏線がたくさんあって非常に面白かった。個別エピソードの最後にはそれぞれキスシーンが用意されており、これがまたどれもキュンキュン胸キュンなんですわ。一見するとみんなコソコソ何やってんだって感じだけど、未来の五月が風太郎をキス魔と罵っていたことから、ちゃんとこのことが明るみになっていることが窺えるのも良いですよね。そういえば五月はキスしてましたっけ。してなかったのか涙で前が見えず見過ごしちゃったのか定かでない。あとそういう胸キュンをやりつつも、将来の夢や父親との関係といった各々の因縁に次々に決着をつけていったのも良かった。あまりに綺麗に片付けるもんだから、終わりへと着実に進んでいるんだなっていう寂しさもあった。
 三玖の話をします、三玖推しなので。2期ラストで風太郎への気持ちを誤魔化していたからもう無理かと思われていたが、再度気持ちを伝えることができ、さらに将来の夢ができたことも打ち明けることができた。最初は好きな人のために始めた料理がいつしか自分のやりたいことになっていたとかなんて良い話なんだ……。「最後の祭り 三玖の場合」は、物語当初に比べてあまりに強くなった三玖に涙が止まらなかった。同時に風太郎に対する我慢もやめた三玖の積極的アプローチもね、最高でしたね。3日目の最後で自分が選ばれなかった後にすぐに二乃の元を訪れ、お互いに悲しみを分かち合う姿も号泣だった。物語当初ではあんなに険悪だった2人がこんなことになってるの泣くしかないでしょ。個人的に二乃と三玖の関係性がこの物語で一番好きな部分であったので本当に泣いてた。5年後の姿も、2人で一緒にお店を始めてるの解釈一致すぎてヤバかった。ただ1つ心残りがあるとすれば、この終わり方では二乃も三玖もこの先一生他の人を好きになれないと思うんですよ。本人からすれば初恋を抱えて生きていくのも幸せなことなのかもしれないが、推しオタクの立場からするとやはり悲しさを感じてしまう。
 話は変わるが、2期で五等分の花嫁が大好きになった僕が原作を読んでいなかったのには理由がある。まあそんな大した理由じゃなくて、僕は元来アニメオタクだから、どうせ最後までアニメ作られるやろうしそれを待とうと思った。最後まで待って本当に良かった。そしてアニメーションでの結末を見終えた今、僕は遂に原作へと手を伸ばすことができる。僕はこれからアニメイトに行きます。五等分の花嫁を本当に終わらせるために。

2022年5月31日

 原作を読み終わりました。フルカラー版というのがあったのでそれを全部読みました。素晴らしかった。やはりアニメ化するにあたってカットされた部分が多大にあり、そこを補完することでよりこの作品の素晴らしさに触れることができた。僕は思った、全てを知った状態でもう一度映画が見たいと。この日、仕事帰りに2回目を見た。実は同じ映画を劇場で2回見るというのも初めての経験だった。2回目を見て気付いたことがある。1回目で感じたぐちゃぐちゃな感情が込み上げてきたのはEDが始まってからだった。つまりこの感情の正体は、「五等分の花嫁」という作品が終わってしまうことによる悲しみだったのだ。ED映像で五つ子の仲睦まじい写真を眺めながら「どうか流れて行かないで……」と思ってしまった。そして、この5人が仲良くしていること、それが僕が一番望んでいたことだったと気付いた。ありがとう春場ねぎ先生、五つ子が仲良く笑いながら終わらせてくれて。
(まだまだ書きたいことがあるので随時追記します。あと原作を50周くらい読みます。)